この風のむこうから… 今日も、のほとけの囁きが聞こえてきます… 

防野宗和の「のほとけの散歩道」へ、ようこそ!!

故 塩野松雲先生

 塩 野 松 雲 先生 その前に、楽書展と牧野伸治先生

 1976年(昭和51年)に「第1回 楽書(らくしょ)展」開催の案内状が届いた。差出人は、私の小学校 5,6年生時代の恩師・牧野伸治先生。牧野先生には、私が小学校卒業の年から油絵の指導を仰いでいた。当時の学校は、先生方の日直や宿直があって、中学校の授業を終えてから母校の小学校を訪ね、牧野先生に油絵を教わっていた。
 書道というものには全く興味を持たなかった私でしたが、油絵の先生がどうして書道なのか…と、中学校卒業後、牧野先生とは疎遠になっていた懐かしさもあり、楽書展会場を訪ねた。

 牧野先生は不在でしたが…

 会場の「画廊はしもと」に入るなり驚いた。失礼ながら「何と下手な…」牧野先生はいらっしゃらないし「来るんじゃなかった」と。ただ一点、キリストの愛語を書いた作品だけは「うまいな」と思いながら見ていると、一人の男性が声をかけてくれた。「どなたかのお知り合いですか…」「牧野先生は私の恩師で…」…… ……「この愛語を書いた本人です…」「上手ですね…」「いやいや、まだ書を始めて一年ですから…」
 そして、書をはじめた頃の練習作品だと、半紙の束を見せてくれた。その作品がまたヒドイ。ヘタ。思わず、「一年でこんなに上手くなるんですか!!」と。
 それほど酷かった。
会話が進むにつれ、私に楽書会入会をすすめてくれた。書には興味がないからとお断りしても、更にすすめてくれて^^。その方の柔らかな話し振りと、一年でこれだけ上手くなるなら、俺の方が、ここに展示されてる作品より上手く書ける。と傲慢な私がいた。書が上手くかけたらカッコいいかな…とも^^。書をはじめた動機は不純である。

身/塩野松雲

 第1回 楽書展で、牧野先生の作品も、塩野先生の作品も記憶にない…。

 年に数回、「楽書会」の勉強会があった様に記憶している。私は、第2回 楽書展から出品し、この辺りから塩野先生と出会うのですが、皆が先生、先生と慕っているわりに、塩野先生の作品を拝見しても、どこが上手いのか…。墨をこぼしているようにしか見えない作品…。
 言葉数少なく、たまに口を開けば「下手に書け…」「上手く書くのは誰でも書ける…」と。俺は上手くなりたいのに…。

輝雲/塩野松雲

 書は線質だ。と教えられ、線の深さ、厚みや粘りを塩野先生から学んだ。牧野先生には白地の空間の大切さを教えられた。
 命の根源に立ち返って、己というものの表現の為の手段の書。私はそれを理解したいが為に、必然的に塩野先生が取り組んでいる墨象の世界に入り込んでいった。
 何回目の楽書展かは失念したが、その会期終了後に塩野先生に手紙を送った。一大決心をして「弟子にしてほしい」と。墨をこぼしたような作品に、段々と惹かれていった。一点一画に秘められたこの深さは何なんだろうと。それを探ってみたくなった。そして、すぐに返事を下さったが「弟子はとらない。防野さんは誰かの弟子になろうなんて考えないで、貴方は自分の思い通りにやりなさい…」。繰り返し「貴方は、人の弟子になろうなんて考えてはイカン…」と。
 ならばと、毎日手紙を送る事の許しを請うて、ひたすら臨書を書き送った。「またいつか、お会いした折にご批評いただければ…」と添えて。その内、返事をいただくようになる。「私なら、こう書く…」と、先生の臨書も同封されていた。「私はこう書くが、防野さんは私を真似ることをしてはいけない。あくまでも古典から、貴方がどう感じるか。作者がどう生きたかを、古典から学ぶことが大切である」と。
 毎日の臨書は辛かった。どんなに仕事が忙しくても、その臨書を、次の楽書展まで一日も欠かさず続けたことが、私の財産になった。

 塩野先生は、墨人誌の中でこう書き記している。

「おれは書をかく為に、一生を無駄使いしてやるぞ。…………これが現在の心境であり、おれは俺らしいのが一番よいと思っている。雑多なものを載せて流れて行く時間の中で、本当のことだけ注目していたい。」(1971年11月3日)

 墨人会という書の団体がある。そこで塩野先生は長年審査員をされていた。理由は知らないが、既に墨人会を退会されていた。にも かかわらず、私に墨人展への出品を勧めてくれた。塩野先生が「私も出品するから」と。

 東京・西銀座の洋協ホール。塩野先生の作品は、ほぼ満点。私の作品は…かろうじて入選。墨人展の会期中、研究会があるというので塩野先生と出席し、その夜一泊するための宿に落ち着くと、次々に人が訪ねて来る。皆、墨人会の審査員。「あぁ、こんな立派な書家と私はお付き合いいただいているんだ。」偉そうにするワケでもなく、傲るワケでもなく。ただ物静かに、聞かれた事には応えてくれる…、そんな書道好きのジィさんだと思っていた私だったのですが。

遠/塩野松雲

「個展というものは、過去の自分・抜け殻を展示するようなもの。だからやらない。」

 この墨人春期展(東京)に続いて同じ年、秋期展(京都市美術館)にも出品する。この頃、塩野先生に個展を勧めたがあっさり断られた。が、「いつか私が、もっと書けるようになったら二人展を…」と、これまた断られるだろうと思いきや「防野さんとならやって見ようか。」この言葉が励みになって、書いて書いて書きまくった(私にもこんな時期があった^^)。

 二人展を楽しみに、書を続けてきたが、1988年9月この年の墨人展を見ずして、塩野先生は逝ってしまった。二人展も叶う事なく…。
 その後の楽書展に、特別出品として先生の遺作を10年間に渡り展示させていただいた。作品をお借りするために年に一度、先生のお宅を訪ねるのだが、一度も仏壇に手を合わせることがなかった…。どうもそれができなくて…。
 あんなに親しくしていただいていたのに何と薄情なヤツと、奥様やまわりが思ったに違いない。
 先生が逝った翌る日に、家内の父親も亡くしている。その丁度 1年前の同じ9月に私の父をも看取った。墨人展開催月に、2年続いての不幸で出品出来ず、私は墨人会の退会を決めた。この頃、賞をとるために書することに疑念を持ち始めていた。確かに賞は励みになって自分を奮い立たせる材料ではあったのですが…。
 何より、塩野先生と共にできなくなった事が一番の理由か。そして、のほとけとの出逢いも退会の理由の一つ…。(のほとけとの出逢いは、別のページで^^)

「今日、防野さんが訪ねて来るから家に居るように…」と、奥様の夢の中に…

花/塩野松雲

 塩野松雲先生が逝って10年目に、新たな出逢いがあった。茶道 裏千家の、松本宗和(和子)さん。(大阪府在住/偶然にも、号が同じの"そうわ")。私の「のほとけ」を見て初対面の私に、個展をやりませんかと。突然の事だったので「またその内に考えます…」と話しを濁したが、一週間程して、そのお弟子さんから「個展の日がきまりました。来年の3月末、和歌山城 紅葉渓の茶室・紅松庵です。松本先生のお手前も一緒に…」
「のほとけと茶の湯」の開催がアッと言う間に決まった。ならばと 5月に橋本市教育文化会館でもやろうと勢いづいた^^。絵と書と裸(etosyotora) 中学校から始めた油絵と書と、そして裸はこの頃描きはじめた裸婦。エトセトラをもじってつけたネーミングだ(いまは、絵と書と邏ですが)。

 年が明けた1999年1月、文人展(橋本市)搬入の前に、塩野先生の仏前に3月の個展の報告をしようと、朝早めに家を出た。10年間一度も手を合わせた事がなかったのに…。
 間もなく塩野先生のお宅に着くという頃、ワケもなく急に涙が溢れてきた。生前の先生の姿が頭をよぎり…、車を止め涙を拭いた。
 目を腫らしている自分の照れくささを押し殺して、玄関のチャイムを鳴らすが応答がない。「奥様は留守か…」 持参した3月と5月の案内状と、お手前のお茶券をメッセージと共に郵便受けに入れて、文人展の会場に向かおうとしたその時、先生の奥様が、裏手から自転車を押しながら戻られる姿があった。
「あぁ 防野さん」……「ご無沙汰です」と言う言葉がおわる間もなく涙と嗚咽で言葉が続かない。「今朝、夢に主人出てきて…、今日、防野さんが来るから家に居るようにと…」「そのことを思い出して、病院に行きかけたんだけど戻って来ました…」
 仏間に通され、霊前に個展の案内状と、先生へのお茶券・奥様へのお茶券を供え、10年間の不義理を詫びた。この間、涙で顔はクシャクシャだったに違いない。

 橋本市での個展… 私の中では「塩野先生との二人展…」

掌/塩野松雲(防野宗和所有)

 1999年3月28日(日)、和歌山城紅葉渓の茶室・紅松庵での「のほとけと茶の湯」たった一日の個展。立礼(りゅうれい)席と茶室の庭に作品を並べ、松本宗和さんが茶の湯のお手前。桜の花満開の中での展覧会は、予想以上に盛会で楽しかった。
 そして、5月7日(金)〜9日(日)、橋本市教育文化会館での個展「絵陶書と裸」(エトショトラ)[etosyotora] 個展の為の造語で etc.「…など」と同意語。と案内状に記した^^。油絵、陶芸、書、裸婦で101点の作品だった。
 そしてその個展には、1989年に塩野松雲 遺墨展開催の世話人を務めた折り、奥様からお礼の言葉と共に頂戴した遺作を展示させていただき、私の念願だった「二人展」でありたいと…。
 その先生の作品をも、やはり10年間、開く事はなかった。それが出来なかった。そして、作品名すら忘れていた。
 個展、いや二人展数日前、戴いたお軸を見てみましょう、霊前に10年間手を合わせることが出来なかった私でしたが、今、先生と対面しましょうと、お軸を画室の壁に掛け、巻きをといた。

 現れたその作品…、合掌の「掌」一字。

 それからその日は、先生の作品の前から離れられなくて、一日を過ごした。

 会期中、展示させていただいた師の遺作「掌」の横に、塩野先生の写真と共に、こう添えさせていただいた。
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塩野松雲先生

故・塩 野 松 雲 先生

 私の最も尊敬した「書家」であり「人」だった。
その先生に個展をと、多くの人達が望んでいたが一度たりともされなかった。
 それでは、私と二人展をとお話をすると「防野さんとだったらやろうか…」と。
その日の来るのを楽しみにしていたのに、遂に実現する事なく、塩野松雲は逝ってしまった。もう十年になる。
 その十年の間に、先生のお宅に何度もお伺いしながら、仏前に手を合わせることをしなかった。どうしても嫌だった。
 個展を決心してその報告にお伺いした。玄関先で仏前で、泪が溢れとまらなかった。十年ぶりで先生との対面。十年ぶりに「掌」をあわせ、個展の報告。
 遺作を戴いて、十年ぶりに開いた作品が「掌」の不思議。
この個展の場に、先生のその遺作を展示させていただいた。
 私にとってこの個展が、塩野松雲先生との「二人展」。
私が先生と御一緒させていただいた書展には、先生はいつも会場におられ、只、静かに椅子に腰を掛けていらっしゃった。
 その塩野松雲先生が、この会場のどこかにいらっしゃる。
一点一点の作品を、どの様にご覧いただいているだろうか。
 昔の様に、お話しをうかがえないなのは残念だが、「二人展」という夢が今、叶った。
「オレは字を書くことによって一生を無駄使いしてやる…」塩野松雲にひとつでも近づける様に、いつか追い越せる様に。そうありたい。
 書を通して、「今を生きている自分」というものを------------。
オレもオレらしく貫きたい。
                          平成11年5月 防野宗和
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鶴/塩野松雲

 塩 野 松 雲 (しおの しょううん)
 1921 島根県に生まれる
 1938 書を始める
 1942 朝鮮官立京城師範学校演習科卒業
 1942 朝鮮忠清北道堤川昭和公立国民学校訓導
 1946 日本へ帰る
 1954 結婚
 1954 伊都郡学文路村立学文路中学校教諭
 1956 伊都郡九度山町立河根小学校教諭
 1957 墨人回 第1回 高野山合宿に参加
 1957 伊都郡九度山町立丹生川小学校教諭
 1959 伊都郡花園村梁瀬小学校教諭
 1961 第13回 墨人展「阿」で墨人賞を受賞
 1962 第15回 墨人展「不動」で墨人賞を受賞
     ※左下の作品【不動】 136cm×204cm
 1962 墨人会会員となる

不動/塩野松雲・第15回展 墨人賞

 1962 伊都郡九度山町立九度山小学校教諭
 1965 橋本市立学文路小学校教諭
 1972 書サークル楽書会結成
 1972 橋本市立山田小学校教諭
 1977 墨人会会員を辞退する
 1977 橋本市立山田小学校退職
 1988 9月1日 午前10時30分逝去

 その他 橋本市展審査委員
     橋本市文化協会理事
                       橋本市文化賞受賞
                       紀北文人会・創峰会・楽書会 等

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円空自刻像/塩野松雲

塩 野 松 雲 遺墨集

発 行/楽 書 会(事務局長・防 野 宗 和/編纂)
発行日/平成元年6月9日
題 字/政 本 遂 之 先生
協 力/墨 人 会
発起人/岡 村 春 海  織 田 宗 司  後藤加寿恵
   /坂 中 典 子  津 田 政 吾  廣 野 光 世
   /防 野 宗 和  牧 野 伸 治  松 浦 利 文
   /山 本 裕 子
 

塩 野 松 雲 遺墨展

会 期/平成元年6月9日〜11日
会 場/橋本市教育文化会館4階
主 催/楽 書 会
後 援/橋本市美術家協会・創 峰 会・橋本絵画同好会

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